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札幌高等裁判所 昭和47年(ネ)183号 判決 1973年3月19日

控訴人 株式会社栗林商会

右代表者代表取締役 栗林徳光

右訴訟代理人弁護士 土井勝三郎

被控訴人 石川信一

<ほか三名>

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 彦坂敏尚

同 佐藤文彦

主文

原判決中被控訴人鈴木充、同進藤春男および同石川信一に関する部分を取り消す。

右被控訴人らの請求を棄却する。

控訴人のその余の控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ、控訴人と被控訴人浅野武との間に生じた部分は控訴人の、控訴人と被控訴人鈴木充、同進藤春男および同石川信一との間に生じた部分は右被控訴人三名の各負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一  控訴人の本案前の抗弁ならびに本案における抗弁(一)(昭和四〇年二月二五日の寄場における集会)、同(二)の(1)(同年三月一七日の寄場前における集会)、同三の(5)(同年五月五日の寄場における集会)および同(二)の(2)(同年四月二五日のピケッティング)に関する、当裁判所の認定、判断は、原判決理由説示(原判決一四枚目表五行目から二一枚目表九行目まで)と同一であるから、これをここに引用する。

二  進んで控訴人の抗弁(三)の(1)ないし(4)(昭和四〇年五月五日の荷役作業阻止および東門からの不法侵入、デモ)につき検討する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認定できる。

1  分会は、その所属する全港湾北海道地方本部指令の統一ストライキの一環として、一律五、〇〇〇円賃上げ等の要求貫徹のため、昭和四〇年四月一七日、控訴会社に対し、同日以降分会員の勤務する全職場又は一部職場において断続的或いは継続的にストライキを実施する旨通告していた。そして、同年五月五日、分会員は午前中はそれぞれ所属している各事業所においては平常通り勤務についていた。すなわち、同日午前八時から午前一二時まで、本輪西事業所構内においては、一号倉庫前Aバースに接岸中の神加丸に対し栗労員を含め合計約二六名で洋紙の積み込み作業を行い、また六号倉庫前東埠頭に接岸中の瑞雲丸について、同じく栗労員を含め合計約三九名で同船から木材(アラスカ材)の荷揚げ作業をしていた。

2  ところが、分会は、右地方本部からのストライキ実施の指令をうけ、同日午後一時から時限ストライキを行なって右神加丸および瑞雲丸の荷役作業を中止し、両船にピケットを張る、との機関決定をなし、被控訴人石川において、同日午後零時三〇分頃この旨を控訴人会社に通告するとともに、分会幹部を通じて所属従業員に右の指示をなし、栗労員が午後一時からの両船における荷役作業に従事する以前に、右両倉庫前海手エプロン上に分会員を集合させて、ピケットの配置につかせた。

かくて、分会員は右倉庫前海手エプロン上において、同日午後一時頃から午後七時頃まで継続して、次のような状態でピケットを張った(人数の点を除き、分会員が午後一時から午後七時まで右エプロン上に参集したことは被控訴人らの自認するところである)。

(イ) まず右一号倉庫前エプロン上においては、分会員約七〇名が、神加丸の船首と倉庫との間および船尾と倉庫との間(同倉庫から同船の接岸していた岸壁までの間隔は約九メートル)に、それぞれ列をなして立ち並び或いは坐り込み、結局同エプロン上の船積み作業の場所を占拠する形でピケットを張り、これが解かれないかぎり神加丸の荷役作業(倉庫から洋紙を搬出してこれを船積みする)は不可能な状態を作出した。

そして午後一時すぎ頃、同所で指導にあたっていた被控訴人石川および分会幹部木原雅男が控訴会社職制の本庄欣哉、遠藤好郎らから相前後して、栗労員が船積み作業を継続するからピケットを解除して構外に退去するよう、要求されたが、被控訴人石川において「やむにやまれず行動している」等と答えて、右要求を拒絶した。

(ロ) 右一一号倉庫前エプロン上においては、分会員約七〇名(このうち約三〇名は後記認定のような経緯で途中から参加したものである)が、瑞雲丸と同倉庫の間(同倉庫と同船の接岸していた岸壁までの間隔は約一八メートル)に右と同様な状況でピケットを張り、これを解かないかぎりは同船から右エプロン上に木材を荷揚げすることは不可能である状態を作出した。そして、ここにおいても、午後一時すぎ頃分会幹部中川勇次において会社職制の右本庄、水野時敬らから相前後して、右と同じく栗労員により作業をするからピケットを解除するようにとの要求を受けたが、「地本の指令にもとづくものであり、ここを退去することはできない、荷役はさせない。」等と返事してこれを拒否した。

そこで、一方控訴会社側においては、右エプロン上での作業はとうてい不可能であると判断し、同船の海側から木材の艀取荷役作業をすることとし、栗労員約一〇名が同日午後二時三〇分頃艀によって海側から同船に乗船して荷揚げ作業を開始した。ところがこれを知った分会員のうち、約一〇名が同船に乗り込んできて、会社職制の水野、遠藤らから再三下船するように要求されたにも拘らず、「栗労員が降りるなら我々も降りる」とか、「執行部から命令をうけているので下船できない」等と答え、同時頃から午後三時三〇分頃までにわたって、デッキや荷揚げすべき木材の上に坐り込む等の行動をとって、右作業を妨害し、結局控訴会社側に対しかかる方法による作業の続行をも断念させた(人数の点を除き、分会員が右時間中同船に立ち入ったことは被控訴人らの認めるところである)。

3  ところで、分会の前記ストライキの指令は、控訴会社事業所の一つである、日本製鋼所室蘭製作所構内におかれた事業所に勤務していた分会員約三〇名に対しても発せられたのであるが、同事業所における分会員の責任者であった被控訴人鈴木において、同日午前一一時三〇分頃被控訴人石川から右分会員を瑞雲丸のピケットに配置させるよう指示をうけ、すぐに右分会員約三〇名を引率して午後一時三〇分頃本輪西事業所東門にいたった。他方控訴会社側においては右分会員らが同事業所構内に入構しようとしているのを知り、右分会員らを構内に入れるときは前記ピケットに参加して業務を妨害することになるものと判断した。そこで会社職制の本庄、水野らは右分会員の入構を阻止すべく直ちに東門に赴き門扉を閉鎖し、同所に来合わせていた被控訴人石川、同進藤らに対し、業務妨害となるから右分会員を入構させないように要求した。しかし、同被控訴人らはこれを拒否し、被控訴人進藤において閂を外して門扉を開放して右分会員らを入構させた。かくて、右分会員らは、被控訴人鈴木を先頭にして気勢を挙げながら同所から約三〇〇メートル離れた構内操作小屋を通ってそのまま前記一一号倉庫前エプロン上のピケットに参加した(人数の点を除き、分会員が午後一時三〇分頃東門から操作小屋まで通行したことは被控訴人らの自認するところである)。

4  控訴会社においては、前記のように分会から午後一時以降ストライキに入る旨の通告をうけるや、これに対処して予定の作業を続行するため急拠就業人員の配置換を行い、神加丸に関しては栗労員二六名をもって、瑞雲丸に関しては作業規模を縮少して栗労員一七名でそれぞれ作業継続をすることとし、その人員を整えた。

しかし、昭和三九年四月初頃分会のストライキ中に、栗労員が若竹丸の荷役作業を行うにあたり、分会員が前記と同じような態様のピケットを張ったのに対し、右栗労員がこれを突破して右作業に就こうとした際に、両組合員間に乱斗が生じて右栗労員二名が負傷をうけるといった不祥事があったため、会社職制においてあらかじめ前記ピケットの解除を説得することとして、これが解除され次第、直ちに就労できるように栗労員を本輪西事業所構内の従業員寄場に待機させていた。

また栗労員においても、会社側に対し早急にピケットが解除されるように分会に働きかけることを要望するとともに、ピケットが長びくのであれば実力でもこれを排除して就労する趣旨を会社側に申入れていた。

かくして、控訴会社は、前記のように職制をピケット現場に赴かせてその解除を求めたのであるが、さらに本輪西事業所長斎藤友紀雄および勤労部長新保精一において、同日午後二時頃、同三時頃および同四時頃の三回にわたって、構内の分会事務所から被控訴人石川、同鈴木および同進藤の三名を同構内の会社事務所に呼び寄せて、会社の右作業継続の意向と栗労員の右のような要請を伝え、ピケット解除の要求、抗議を繰返したのであるが、その都度「幹部で協議中であるから待ってもらいたい」等といわれて、この要求も拒絶された。

結局右のような状況のまま午後一時頃から午後七時頃まで右栗労員は寄場に待機したまま作業を続けることができなかったわけである。

以上の各事実が認められる。≪証拠判断省略≫

(二)  ところで、ピケット或いはこれに伴う職場占拠は、暴行、脅迫又は威力にわたらない平和的説得の限度においてのみ許容されるものであり、これを超えて右説得に応じない組合員以外の者の就業や使用者の操業を妨害するにいたるような程度、方法にわたることは、争議行為の正当な限界を逸脱し違法である。また争議中における職場への立入り、職場内の集会についても、使用者において受忍しなければならない場合のあることは前説示(原判決一六枚目表一行目から一一行目まで)のとおりであるけれども、違法行為をなす目的で職場内に立入ることは正当な限度を逸脱するものである。

これを本件についてみるに、右認定事実によると、会社職制および栗労員はピケット解除のときは直ちに就業できるように待機し、職制を通じ再三にわたって解除を求めていたのであり、かかる行為はかつての両組合員間の不祥事態発生の事実に鑑み極めて相当であるし、しかも右要求にあたって会社側に特段分会側を挑撥する等の行為もなかったのである。しかるに分会においては、ピケットによっても自己のストライキにつき栗労員の協力を得られないことを熟知したにも拘らず右要求を拒否してピケットを継続し、ことに会社側において不便を忍びながらもあくまでも平穏裡に栗労員により一部作業を開始したのに対して一時間にわたって木材に坐り込んだりして(直接右栗労員の身体に対するものではなくとも、まさに有形力の行使である)直接かつ具体的に仕事を妨げたのであり、かくて六時間に及んで職場を占拠し、会社側および右栗労員の作業を不可能にしたものである。かかる状態においては、右ピケットは、もはやストライキを実効あらしめるための平和的説得行為の限度を逸脱し、不法な威力或いは有形力の行使によって控訴会社および栗労員の業務を妨害したものであって、違法というべきである。

そして、右の違法なピケットに参加するため、会社職制の制止に拘らず、敢えて東門を開放して事業所構内に入構したことも、また違法とみるべきである。

(三)  しかして、当事者間に争いがない被控訴人石川が分会委員長、被控訴人鈴木が同副委員長、被控訴人進藤が同書記長であった事実および右被控訴人らの前認定のような行動からすれば、右被控訴人らは右ピケットおよびそのための東門からの入構を企画、決定したばかりでなく、自ら率先指導をなしたものと認められる。

そして、≪証拠省略≫によれば、控訴会社の就業規則上従業員に対する懲戒理由およびその種類として別紙就業規則抜粋のとおり定められていることが明らかである。したがって、控訴人主張のとおり、右被控訴人らが右ピケット実施を指導した行為は就業規則三〇条一四号、六二条一、四、一一各号に、右東門からの不法入構をなさしめた行為は同三〇条一四号、六二条一、二各号に該当するから、これに基づき右被控訴人らを同六三条二号の出勤停止の懲戒に付し得るものである。

なお、控訴人はピケットによる神加丸、瑞雲丸に対する各荷役作業の妨害、瑞雲丸船上における業務妨害および東門からの不法入構を、各独立の懲戒事由としている如くであるけれども、前認定により明らかなように、右行為は分会の同一指令のもとに統一的に行われたものであるから、右のように包括的にその違法性の有無を判断すべきものであり、弁論の全趣旨に徴し、控訴人の主張はこの趣旨を当然包含していると解される。

三  次に被控訴人らの再抗弁(不当労働行為および懲戒権濫用の主張)について判断する。

(一)  不当労働行為の成否

被控訴人石川、同鈴木および同進藤については、右説示のとおり懲戒事由に該当する事実が存し、かつこれを理由とする本件懲戒の程度は後記のように重きにすぎるものとはいえないのであるから、本件懲戒をもって、正当な組合活動の故になされた不利益取扱とは認められないところである。したがって、被控訴人らのこの点の主張は理由がない。

(二)  懲戒権濫用の有無

1  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められ、これを覆えすにたりる証拠はない。

(1) 分会は、昭和二四年結成後全港湾北海道地方本部室蘭支部の一分会として加入し、昭和二五年以降前説示のように地方本部の統一斗争に参加してきた。

ところで、昭和三八年当時控訴会社の経営は、苫小牧王子製紙株式会社の発註する新聞用紙の運送業務に大巾に依存していたところ、右王子製紙から、毎年統一斗争を実施するような労働組合のある会社に右用紙の運送を委ねるときは、王子製紙自体の輸送計画や生産計画を狂わすおそれがあるから、分会が右のように統一斗争を続けるようであれば、控訴会社に対し右運送を請負わすわけにはいかない、との趣旨の申入れがなされた。そこで控訴会社としては、王子製紙と取引を継続し、かつ当時開発途上にあった苫小牧港に経営規模を拡大していくには、王子製紙の危惧を払拭し、その協力を得る必要があったところから、分会に対しても右の理解と協力を求める必要があった。そして、実際にも、昭和三八年三月分会が統一ストライキに参加した際に、王子製紙からの新聞用紙の運送依頼が中止される事態に立ちいたり、分会にストライキの中止を求め、その結果分会としても右事情を諒承してやむなく予定していたストライキを中止することがあった。

(2) 控訴会社と分会との右のような特殊事情から昭和三八年三月以降双方間に緊張、紛争を生じ、また分会内部でも対立が起り、昭和三九年三月一日に第二組合の栗労が結成された。

かくて、分会は同年三月、控訴会社において分会の分裂および第二組合結成を企図して、それまでに次のような不当労働行為を行った、との理由で、北海道地方労働委員会に対して救済の申立をした。

(イ)控訴人が従業員の苫小牧港の見学を実施し、その際個々の組合員に全港湾から脱退するように勧誘した。(ロ)会社側と組合幹部との労使協議会において、組合の路線変更を要求した。(ハ)会社職制が忘年会、新年会と称して、組合員に酒食を提供して全港湾からの脱退を勧めた。その後分会員大倉勘之助に対する配置換えは不当労働行為であるとして、この事由を付加した。なお、この申立事件の審理中、会社側も、分会が昭和三九年春斗の際に職制に対して暴力行為に及んだ、と主張した。

右救済申立に対し、地労委は、控訴会社の右のような行為は不当労働行為の疑いがあり、また分会にも右春斗にあたり違法行為の疑いをうける行為があったものと判断し、「双方ともかかる行為のあったことについて遺憾の意を表すると共に、以後双方協力しあう」等の趣旨の和解勧告をなし、同年八月三日双方間に右趣旨どおり和解が成立し、それまでの双方間の紛争がこれにより解決されるにいたった。

2  右和解後における控訴会社と分会との関係については、≪証拠省略≫のうちに、控訴会社は依然として、組合員に分会から脱退することを要求しているとか、分会に所属していることを理由として配転、残業等について差別を行っている趣旨の供述が存するけれども、この点は≪証拠省略≫に対比してにわかに採用できないし、他に控訴会社が不当労働行為をなしたことを肯認するにたりる証拠は存在しない。

3  右1および2に認定したところによれば、昭和三八年頃から控訴会社と分会との間に緊張、対立が生じてきたが、昭和三九年八月にはそれまでの紛争につき、双方納得のうえ解決をみているし、その後特段控訴会社が不当労働行為を行ったことは認められないものであり、かつ前説示のように、本件ピケット実施の際に控訴会社に責むべき事情もないのである。そうとすれば、被控訴人ら主張のように右ピケットが控訴会社の不当労働行為に関連しこれに対抗して行われたものとはとうてい認め難いし、他方右ピケットの程度、態様からすれば、被控訴人石川、同鈴木および同進藤につき、控訴会社が本件懲戒の理由とした事由の一部(控訴人の抗弁(一)、(二)の(1)、(2)、(三)の(5))が前説示のとおり否定されるものであることを考慮しても、被控訴人らに対する出勤停止七日間の懲戒をもって、重きにすぎるとか、懲戒権の濫用であるとはいえない。したがって、被控訴人らのこの点の主張もまた採用できない。

四  してみると、被控訴人浅野に関しては、控訴人主張の懲戒事由はなんら存しないのであるから、その存在を前提としてなした出勤停止の懲戒は無効であり、その確認を求める本訴請求は理由がある。しかしその余の被控訴人らに関しては、その懲戒は相当であるから、その無効確認を求める被控訴人鈴木、同進藤の各本訴請求および、その無効であることを前提として出勤停止期間中の賃金と遅延損害金の支払を求める被控訴人石川の本訴請求は、いずれも理由がない。

そこで、原判決中、被控訴人浅野に関する部分は相当であるから、控訴人のこの部分に対する控訴は棄却を免れないが、その余の被控訴人らに関する部分は失当であるから、これを取り消し、その請求を棄却すべきものである。

よって、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺一雄 裁判官 小川昭二郎 山之内一夫)

<以下省略>

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